「イラクディナール」「ジンバブエ」「ベトナムドン」「ルピア」通貨アレコレ
ジンバブエの苦悩…ジンバブエドルからRTGSドルへ
一般的な日本人にとって”ジンバブエ”と聞いてもなかなかピンとこないかもしれません。
ジンバブエはアフリカ南部にある国です。
アフリカ大陸最南端にある南アフリカ共和国の北に位置する国と言えば、位置関係がわかりやすいかもしれません。
他のアフリカ諸国と同様で内戦状態が長く続いた国ですが、国土は肥沃で1980年代から90年代にかけては、”アフリカの穀倉庫”と呼ばれるくらい農業が盛んでした。
しかし、農業に対して多くのノウハウをもつ白人農家の消滅、大規模商業農業システムの崩壊などによって農作物の収量が激減。
現在に至っても農業国の地位をほしいままにした往時の面影はありません。
●農業の不振が経済に影響
農業以外にこれといった産業がないジンバブエにとって農業システムの崩壊は痛すぎるものでした。
輸出で外貨を稼いでいたものが、農業においても輸入に頼ることになったのです。
これによって外貨不足に拍車がかかり、経済は極度に悪化していきました。
ジンバブエ政府も効果的な対策が打てず、2002年の経済成長率はマイナス12.1%を記録。
そこからは、最大の支援国である米国、英国などからの援助で多少は持ち直したものの、2013年のGDPは132億ドル。
一人当たりのGDPは1,007ドルでした。
これは、隣接するボツワナや南アフリカ共和国と比べても大幅に低い水準です。
アフリカの最貧国とまではいきませんが、かつてはアフリカきっての貧しい国でもあったのです。
それは、先述した農業システムの崩壊とも無関係ではありません。
●スーパーインフレーションがジンバブエを襲った
現在のジンバブエの通貨は、”RTGSドル”です。
多くの人にとっては”ジンバブエドル”のほうが馴染みがあるか、記憶に新しいかもしれません。
少しややこしいのですが、現在も”ジンバブエドル”という名称を使っている部分も散見されます。
農業システムの崩壊と国内の内紛による各国からの制裁によって、ジンバブエは2000年代にスーパーインフレーションを経験します。
これは、紙幣を刷っても刷っても紙切れ同然の価値しかなく、ジンバブエドルは文字通りの終焉を迎えることとなります。
2007年の米国の評論誌”Foreign Policy”によると、その時点で世界でもっとも価値の低い通貨ワースト5にジンバブエドルが入っていたのです。
どのくらいのインフレーションだったのか、2008年に1億と2億5,000万という額面のジンバブエドル札が発行されています。
これだけでもすさまじいインフレーションであることがわかるのですが、その後もさらに50億、250億、500億ジンバブエドル札が発行されました。
そして、同年2008年の7月には1,000億ジンバブエドルが発行されたのです。
これは、発行時点で世界最高額面の紙幣となりました。
これではコンピュータ処理にも支障をきたすということで、ジンバブエの中央銀行がデノミネーションを実施。
大幅な通貨単位の引き下げを実施しました。
これによって1,000億ジンバブエドルが10ドルとなったのです。
しかし、抜本的なインフレ対策が行われたわけではなく、単に通貨単位の引き下げを行った応急処置であったため、止まらないインフレーションによって、同年暮れの12月には100億ジンバブエドルを発行。
翌2009年1月には200億、さらには500億ジンバブエドル紙幣の発行を行っています。
この時点でジンバブエドルの価値は、250億ジンバブエドル=1米ドルとなったのです。
これによって年間のインフレ率は2億3,000万%に達しました。
●米ドルの採用、通貨バスケット制、そしてRTGSドルへ
完全に信用を失ったジンバブエドルに代えて、米ドルの他に南アフリカランド、ユーロ、英ポンド、ボツワナプラの国内流通が公式に認められました。
この5つの通貨が法定通貨となったのです。
遅きに失した感がありますが、この措置によってスーパーインフレーションは終息を迎えることとなります。極度の経済混乱も収まり、12年ぶりの経済成長(プラス)を記録します。
そこからさらに、中国人民元、インド・ルピー、豪ドル、日本円の採用など、合計9通貨を法定通貨とするなどの混迷を経ることになります(通貨バスケット制)この時点で、中国の強力な経済支援もあり、一時は中国人民元を本格的に流通するように政府決定が行われます。
しかし、これが落ち着きかけた経済に対して不安定要素となり自国通貨であるボンドコインも急落することに。
こうした紆余曲折がありながら、2019年2月に流通していたボンドノートと電子マネーをRTGSドルに改称。これ以降、中央銀行は一切の外貨の法定通貨としての使用を禁止します。
自国通貨で運用できるように、するための一時的な米ドル使用のみにしておけば良かったのを、バスケット制を採用したのが悪手であったのは間違いありません。
そこで、中国が台頭してきたことで、米国他古くからの援助国が警戒。結果として人民元を追い出すためのグロス決済としてのRTGSドルが誕生した結果となりました。